現在位置: ホーム 交流会 第10回交流会

第10回交流会

金海周辺の古墳群や密陽川上流域をフィールドワーク地にし,韓国密陽大学校で開かれました。ウリ42号もご覧ください。

第 10 回交流会を振り返って

第10回交流会実行委員長 山下 誠


けっして意図してではないのに、なぜかそうなることが、世の中にはあるようだ。関門海峡を抜けてほどなく、はるか玄海灘の水平線に陽が沈みゆくのを見ながら私は、10 年前奇しくもその日と同じ関釜航路を辿る自分の姿を思い浮かべていた。
私が、この日韓合同授業研究会という、堅苦しくも垢抜けない名前を冠した代物に出くわ したのは、さらにその1年前の秋に見かけた、振りは小さいが華々しい内容の新聞記事でであった。その大見出しは「戦後 50 年-新時代を切り拓く日韓授業交流」という風で、小見出しには「日韓の教師 50 人が集まり」とあった。
そのいずれもが、発起人代表のY氏のひろげた大風呂敷であることを思い知らされたのは、下関出航の翌日、釜山から鉄路のり込んだソウル崇実大に設けられた、第 1 回交流会場に着いてからのことだった。というのも、“授業”研究会といいながら、韓国側から出されたレポートは、ソウルの歴史探訪とか唄の紹介といったものが目につき、ページをめくれど授業のじゅの字も見当たらない。それに、参加者といえば、数こそ多いものの、「お若いのに・・・」 とよくよく聞いてみれば日本語科の学生だったり「ずいぶん日本にお詳しい...」と感 心すればビジネス日語を学ぶ社会人だった りする始末・・・その中から授業の担い手 である教師を探し出すのは意外にも手間の かかる作業だったのだ。車窓に流れ行く田 園風景に、色あせた写真のような 10 年前の 情景を重ね見るうちに、私たちを乗せた列車は目的地に近づいていた。 韓国には、カマソットウィという面白い表現がある。「竈の釜の暑さ」という意味なのだが、 そうかこの言葉はまさに今日この日のために あったのか、と思わせるような慶尚南道密陽駅 に降り立った我々を迎えてくれたのは、ソウル の高校で日本語を教えるソ・ジェチュン氏であ る。この間の行き来で慣れ親しんだ韓国とはいえ、やはり異境の地。どこか不安を隠しきれない一行の表情に、安堵の色がひろがったのは、 心を許した友人がそこにいて、そんな気持ちを包み込んでくれたくれたからなのだろう。そ う、この 10 年間に得た最大の財産は、愛すべき彼ら友人たちに出会ったことなのだ。10_3

私たちが「日本と韓国は...」と語るとき、多くの場合、まず頭の中に日本列島と日本海(東
海)と朝鮮半島を思い浮かべるだろう。上から見下ろした鳥瞰図だ。それで実際分かること も少なくない。しかし、人は人であって鳥ではない。鳥瞰した日韓関係とは、想像の産物で しかない。もし、彼の地の人といながらにして共時的体験ができるとすれば、それは、同じ 月や星をみたりすることぐらいだろうか。そう、空を見上げて、今度は同じものを見ている 相手を想像するというわけだ。想像だって?いや違う、私たちはソ・ジェチュン氏を、そし て数十人に及ぶ友人を知っている。それもただ知っているのではなくて、尊敬し、信頼している。この、我々が俯瞰する日本と韓国との間柄とは、実体以外のなにものでもないのだ。
台風の余波による船の揺れと旅の友にと求めたマッコルリの酔いが、得も言われぬ均衡をなす船中で私は、10 年前に彼の氏が言いたかったのは、「きっと新時代を切り拓けるはずだ」ということであり「必ずや多くの教師と志を同じくできるに違いない」ということだったの .
だと、やはり韓国にもある先見之明(ただし、ソンギョンジミョンと之を音読みするところ が面白い)という言葉を思い浮かべていた。
考えてみれば不思議なことではないのだが、大きい分、可能性が広がった。なぜなら、何 より様々な人が入ることができた。もっとも、いろんな人が率直にものを言う分、意見の差 のために時にきまずい空気が流れ、風呂敷がめくりあがり飛ばされそうになったことも一度 ならず。しかし、その度にみんなで隅をきちんと押さえようとするのだから、大したものだ。 だから、韓国経済危機の時も、そして第 2 次教科書問題に見舞われても、びくともしなかっ た。
. あの風呂敷が(途方もない!)大ではなくて、程々の(常識的な!)大きさだったとしたら、10 年後の交流会が、これほど充実したものになっただろうか。今だから言うが、10 年 経って空気が抜けかかっていた球に、またも再びはち切れんばかりの弾力が戻ってきたのだ。 そして、お互いのミットに快音を響かせながら、球は玄界灘を行き交っている。
我が授業研のメンバーには、いつの間にか、大層なことを考えるという後天的性格が備わったらしい。そして、これからも小さくまとまろうというつもりはないらしい。実際、交流 会の最後に彼の氏がまたもやぶちあげたが、誰もまんざらではなかった。活字にはできないが(してもいいが、言ってはつまらない)、実現したら途方もなく楽しいことだ。10 年後に は、間違いなく東アジア新秩序を構築すべき時がきているはずだ。私たちは、その主人公で ありたいと思う。

10_1

韓国の友達を作る第一歩 -桜町小学校 PTA 有志によるサマースクール-

藤田直彦

3 年生の国語の教材「三年とうげ」の学習で、韓国語と日本語による読み聞かせを行った とき、韓国語で読んで下さったユンさんが「相談があります」と話しかけてきました。 「夫の大使館の仕事で、日本にいられるのもあと少しになりました。何かお礼がしたいと思 います。サマースクールのようなことはできないでしょうか」。そこから、今回の話が始まり ました。PTA の仲間や日本に住む韓国の友人に声をかけ、話し合いを重ね、3 日間のプログ ラムを作り、子どもたちに案内状を出した所、思いの外、多くの参加があり、楽しいプログ ラムをつくることができました。たくさんのお母さんやお父さんも手伝ってくださいました。
最初の 2 日間は、2 グループに分かれ、交代で文化・言語と音楽について学び、最後の日 はみんなでのりまきやチヂミを作って食べました。音楽の時間に使った楽器は、私たちの会 のメンバーである浅井さんに借りました。(浅井さんには 2 年前の総合学習の発表会でもお 世話になり、チャングをたたいてもらったことがあります)
子どもたちは次のような感想を書いてくれました。中には表を見ながらすべてハングルで 書いてくれた子もいました。手伝って下さったお母さん、そして企画したお母さんの感想も 紹介します。

子どもたちの感想

  • 私は「韓国の友達を作る第一歩」 に参加してうれしかったことは、 自分の名前をハングル文字で全 部、見ずに書けたことです。私が 楽しかったことは、楽器で演奏し たこと。韓国風のりまきを作った ことです。私はうまくできるかと ても心配でした。でも、けっこう うまくできてよかったです。○今 まで韓国のことはぜんぜん知ら なかったのに、「三年とうげ」の ことを勉強していると、だんだん きょうみを持ってきて、このサマースクールに参加してみました。ハングルの文字で自分 の名前を書いたり、おどりをおどったりして、とっても楽しかったです。そして、最後の 日はのりまきを作ったりしてよかったです。ありがとうございました。
  • 私は、韓国の料理を作って楽しか ったです。いっぱい具を入れて、ど んな味がするか楽しみでした。たま ねぎを切るとき、目が痛くなりまし た。 ○むずかしかったけど、とても楽し かった。いつかまたこういうことが あったらうれしいです。 ○とっても楽しかったし、自分の名 前まで書けてうれしかったです。フ ィモリとサムチェ(たいこのリズム)をわすれないようにしたいです。名前を見なくてもハングルで書けるようになりたいです。 いままでありがとうございました。10_2

手伝って下さったお母さんの感想

  • 楽しく盛りだくさんな企画をありがとうございました。子ども(3 年生)は、1 学期に「三年とうげ」を勉強したので、とても興味深く、楽しかったようです。前準備がとても大変 だっただろうと思います。ありがとうございました。のりまきもチヂミも大変おいしく(タ レもおいしー!)お隣の国だけに文化も近いことに驚き、是非レシピを見て、家でも作っ てみようと思いました。たくさんの親子に親切丁寧にご指導下さった韓国人ママさん、本 当にありがとうございました!!
  • 準備が大変だったのでは・・・と推察いたします。楽しい企画ありがとうございました。 「英語」といことは取り上げられても、他の国の言葉のことはあまり学校で取り上げられ ないということを考えると、お隣の国の「韓国語」そして「韓国のこと」を身近な方に教 えてもらうのはとても有意義なことだと思います。
  • 知っているようでイメージくらいしか持っていないお隣の国の文化に少しだけ具体的に触 られて、とても興味深かったです。都合がよければ、ハングル語他の講座も受けたかった です。いただいた資料で少し勉強してみます。金さんには本当に感心してしまいました。 私が果たして日本の何を教えられるか・・・。これからもいろいろ教えてください!企画して下さったお母さん ひときわ暑かった今年の 8 月の 3 日間。動くことさえつらかった暑さの中、でも、みんな汗を流しながらいっしょに楽しくやり抜きました。本当にお疲れ様でした。そして、準備か ら終わりまで支援して下さった先生方と、子どもたちを参加させて下さった保護者の方の支 えで胸が熱くなりました。その中で私は、自分の母国語を他人に紹介する難しさや、自分の 文化を通じて心を広げて、友達を作る楽しさも知りました。みなさんの韓国への関心と積極的な参加による支えでいい方向に向かったと思いま す。この後、学校、地域で、韓国だけじゃなく隣に住ん でいるいろいろな国の人々といっしょに、各国の言葉 や文化を学ぶ機会があればいいんじゃないかと思い ます。そんな機会があったら、ぜひ、また会いたいと 思います。本当にありがとうございました。(尹炅淑)10_4

 

  • たぶん、桜町小初のサマースクール。少人数でも、 アットホームな感じで、和気あいあいと楽しめばいい かな・・・くらいの気持ちで臨みました。が、ふたを 開けてみれば、その希望者の多さに、まずびっく り!・・・。で、巷の韓国ブームのすごさに、感心し きり!・・・でした。そして、私自身が準備活動に十分拘われなかったことを反省しながら、 参加してみれば子どもたちのそのパワーに押され、その吸収力に目を見張り、一緒にいるの が楽しくてあっという間に充実した3日間が過ぎていきました。(岡 広美)
  • 「何で、桜町で韓国なの?」と、あるお母さんから、今回の催しについて聞かれました。 何ででしょうか?考えてみました。国語の教科書に収録されている「三年とうげ」。全ての始まりは、ここかな。そして、「出 会い」という条件が上手く重なって、この結果に至ったという動かせない事実があります。 何かをしたい人がいて、一緒にやりましょうという人がいて、その輪が広がって、支援し て下さったたくさんの人に囲まれて、一気に転回できたのが今回の行事です。いつ、どんな ことでも、人と人との繋がりの上に物事が成り立っているということを再確認できたひとときであると、強く感じます。 子どもたちはそんなこと考えないでしょうが、「恐れずに接すること チャレンジすること友達になるために」精神の肝要さを今回改めて、彼らから教えられた思いです。次につなげ ていければいいなぁと、願います。一時の熱いブームではなくて、「相互理解を希求する好奇心をそれぞれの中に暖め続ける」 ことの大切さに思いを馳せながら・・・。

日本の学校には、たくさんの国の子どもたちがいて、たくさんの国の人々 が関わっています。そのことの豊かさを感じることのできた 3 日間でした。

10_5

 

« 2024 年 5月 »
5月
1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031